大阪地方裁判所 昭和38年(ワ)4273号 判決
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〔判決理由〕原告の損害額
<証拠>に弁論の全趣旨を綜合すると別表その一「損害明細」のうち2の(ハ)、aを金二、六九一円に減額する(甲第七号証による)ほか原告主張の損害の発生が認められる。すなわち金一、〇三九、七一〇円である。右算定上特記すべき事実は左の諸点である。
(一) 得べかりし利益の損失について。
原告は事故受傷による入院欠勤のため昇給が三ケ月遅れ一ケ月当り二、〇〇〇円の差額を失つたが、これは本件事故に基因するというべく、停年は六三才であるそして一般職の職員の給与に関する法律、これに関する人事院諸規則、国家公務員法等によれば、次期以後の昇給も特段の事情ないかぎり従前の号俸の経過期間等を基準として行なわれ、しかも昇給期間は少くとも三ケ月以上であること、一方上級号棒にいたれば昇給期間は長期となるけれども、昇給差額は大になること、また右号俸の高低に基く期末手当などの特別手当の差額など諸点を考慮に入れると、原告の主張する計算方式は一種の計算上の擬制ではあるけれども、その計算方式の如何にかかわらず少くとも原告主張額より下らない額が今回の昇給遅延に基づく停年までの得べかりし利益の損失となるものと認められる。
(二) 慰藉料について
1 原告は五ケ月余入院治療を要し、退院後歩行練習をはじめたが、出勤できるようになつたのは三八年三月末からであり、完全な作業、研究能力を回復して研究室に復帰できたのは事故後一〇月余を経た三八年七月からである。その間松葉杖を三ケ月ほど使用しなければならなかつた。
2 原告は事故当時三〇才助手として阪大医学部第二外科教室の神前五郎教授指導のもとに癌の研究に携つていた、医学者として精進すべき最も基礎的時代であつたので、本件事故により研究を事実上一年近く中断されたことは新進研究員として全く痛恨事であつた。
しかも当時のテーマは学界の先端を行く癌の免疫に対する研究でこれを学位論文とする予定でいたところ、競合する立場にある東大の平井助教授の研究が右中断の間に進んでしまつたため、研究を継続する価値を失い、学位論文として結実するにいたらず、耐えがたいことであつた。
3 当時訴外高橋裕子と婚約中で同年一一月に華燭の典をあげる予定であつたところ、心ならずも翌年四月まで延期せざるを得ず、生活上の打撃であつた。 (舟木信光)
<編註>争いない事故発生の事実は、次のとおりである。
発生時
昭和三七年八月一七日午後六時五〇分頃
発生地
大阪市東成区片江町一丁目三一番地交又点
加害車
被告所有一九六二年式マツダDUA一二型営業用貨物自動車大一う三〇五〇号
運転者
訴外金城こと金宇昌(被告雇用)
受傷者
原告(軽二輪自動車運転中)
態様
訴外金は右交又点に西方より南入した際、東進中の原告車の左側に衝突、ために原告は受傷した
傷害
左下腿開放性骨折